四本のバイパスを左足の血管から移植したニュージーランドの親友の心臓が働きはじめ無事退院したと先月のこの欄で紹介した。肋骨を切りステンレスのワイヤーで固定した。痛みが常時走り、左脇を下にして眠れないと知らせが来た。

▼もう一人の親友は日本人だが、高校大学の同級生、社会人になっても五三歳までは親交を深めていた。旧友は人生の宝物、それがいかなる理由があろうとも意志の疎通が途切れることは、財産を泥棒に奪われるような口惜しさと悲しさがこみ上がる。

▼手紙を出して二ヵ月になるが郵便受けに返事はなく、また電話のベルもならない。二人の意志疎通がなくなる理由は、お互いの誤解や憎しみや金銭のトラブルではない。信じる対象に付随する末節への考え方、捉え方が違うだけ、それが隣人愛に割り込む様相に憤る。釈然としない。手を差し伸べる私の側に不足するところがあるなら悔い改めよう。しかし相手が愛の条理を適応せず無視を貫き通すなら、ただ待つしかないのは歯がゆい。

▼NZのは心臓が悪くても、日本にやって来て私に会いたいと言う。友は心を通わせるゆえに友なり。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。