日曜日、姫路の教会での集会と午後喫茶店「ぶどうの木」でのセミナーを終えて、山口の萩へ車を飛ばした。吉田松陰の育った場所と彼が日本国の行く末を案じながら、若者たちに講義した松下村塾の小さな場所を見たかった。家の教会、小さな集まりこそ、これからの日本のキリスト者の成長と宣教の成功秘訣と信じるからである▶ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです、とイエスの言われた意味は深い。何百人いや何千人という人たちと一緒にいることは確かに安心感を養われる。しかし人数からもたらされる安らぎは信仰から生じるものではない。むしろイエスへの信頼感は人数に反比例する。人数信仰に陥る弊害はサタンの策略から生じる▶松陰が捕えられた野山獄で19年在獄していた弘中が学問など意味なし、再び娑婆に出られないワシらに何の学問が必要か、とあざ笑う。松陰は「人間にとって大切なことは真を現わすこと、値打ちを知ることであり、獄にいるかいないかは関係ない。朝に道を聞がば夕べに死すとも可なり」と情熱をもって諭したという。聖書預言と日本が関連していると探求する憂国の志士が学ぶ小さな群れがある。
著者紹介
![畠田 秀生](https://biblejapan.work/wp-content/uploads/2015/01/68a70111e6f7595d3596a006eca6d442-100x100.jpg)
- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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