「木立の中に引っ越しました」(高木美保著)を読んだ。雑木林の中を通り抜けるのが好きな私が迷子になったとき、前方に一匹の犬がいた。立ち止まると犬も立ち止まり、別の道に入ると小走りに戻って来た。もとの道を歩き始めると犬はこちらを振り向き、また歩き出す。犬が導いて私は見覚えのある道まで連れて行ってくれた。そこで気がつくと犬はもう振り向くこともせず雑木林の中に遠ざかって行った、と書いている▼まさに人生そのものではないか。私はひどく共感を覚えてしばらく深い感慨にふけってしまった。たいていの人なら犬ではなくて、見知らぬ人であったり、本であったり、友人、知人であったであろう▼私の場合は聖書のことばであった場合が多い。いつも狭い道である場合が多かった。新しい年が来た。再び道に迷うことがあるかもしれない。しかし聖書が神のことばである以上、確かな道を示してくれる確信は、今年も増し加わるにちがいない▼八五歳、教会に行ったこともなく病床で数年寝たっきり、流動食のみ、頭脳明晰ではあるがうまくしゃべれない人を見舞った。お世話になった大学の先輩に私は犬になれるのだろうか。祈ることしかできないと言って祈ったら「アーメン」と言った。
著者紹介

- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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