自殺がどのような顔をもったとしても悲しい。自説をもち、哲学に秀でた西部氏が自殺した。私淑二人が自殺幇助容疑逮捕された。人生の巡礼の終着駅、死という駅は自分で降りるものではないし、手伝ってもらうものでもない▼愚かな人は神なしとする。自殺は、神なしとする生き方と愚かな死にざまを世に呈する。同様に産んでくれた母なしとし、育ててくれた親へのつば吐く行為である▼いのちへの尊厳に気づくこともない哲学が確信犯の墓標でもある。神の律法をもたない異邦人には自分自身が律法、また良心が律法となる。自殺を幇助する者は法律で罰せられる。ゆえに自殺は異邦人のなす神なし行為である。天国入国は疑わしい▼育ててくれた母への罪、父への罪、友人への罪、知人への罪、見知らぬ人への罪に及ぶだけでなく、自らへの罪である。罪の報酬が死である。▼死には肉体の死と霊の死がある。ゆえにこの旅路を終えるにあたってのすべての死を殉教以外は、神の御手にゆだねるのが人の最後の仕事であろう▼塩狩峠で殉死した鉄道員長野政雄氏と共に、日常の諸々の事柄にあって隣人を愛する人たちの自死は、日々の行為なのである。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。