皇紀二千六百年一〇月二日が誕生日、水曜日。誕生花はあんず、花言葉は「遠慮」、誕生石は「成功」。それらがなんであれ誕生を心を込めて祝ってくれるのが、誕生日を迎えた私の喜び。たとえその日が何かの理由で間違っていたとしても私はかまわない。その日を厳密に守って祝ってくれるとしても、心がこもっておらずただのお祭り騒ぎなら何をかいわんや、だ。
▼十二月である。近くの温泉に行くとジングルベル、きよしこの夜、ホワイトクリスマスが流れている。イエスの誕生を祝っているのではなく、年の瀬も迫った時期到来の曲のよう。イエスの誕生は十二月二十五日ではないが、私がイエスを信じたのはちょうど一か月前の十一月二十四日だった。二十三歳だった。生まれて初めてのクリスマスは、心底イエスの誕生をお祝いした感激と心のこもったプレゼントを神と人からもらった記念の日だった。
▼イエス誕生は十月のユダヤの暦の仮庵の祭りの日であったが、私にとっては十二月二十五日が、たとえ違った日であったとしても、聖なる夜であった。
▼いや、正しい日を祝うべきだと主張する人たちよ。心を守ることをせず、形を重んじる人のいのちはそこから湧かないのでは?
著者紹介

- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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