世の終わりまで麦と毒麦が共存するとマタイはイエスのことばを記した。ほとんど見分けがつかない両者が最後により分けられる。なので収穫のときまで育てておくことが最善だとする。ゆえに義人も悪人も併存しこの世は聖化すること能わずである。実に心凍る未来感しかない。希望は黙示録にある再臨「主よ、来たりませ」しかない

▼黙示録が現実味を帯びてきた。隠れたるもの次第に現れる、が黙示である。顕現(けんげん)(明らかにあらわし示す)がニューヨークのゴーストタウンに、公園に子供がいなくなったのを人は見た。この度の疫病がもたらした恐怖よりも人の流れが止まったことを見させられた恐怖に気づく人は少ない。疫病による原因以外にもやってくる恐怖が黙示録に羅列されている

▼キリスト再臨による新しい王国が私たちの宣教にかかっているとは双肩の荷重しであるが、信仰の不充分、罪の残れるを嘆じながら、しかも完全への意欲を高めるのは再臨以外に何をもって今を生きるのかと聖書最後の書「黙示録」を読む

▼再臨の希望は信者を無気力にさせるものではなく、むしろ活動を発奮させる。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。