「死に急ぐ捕虜と生きよと諭す監督兵」がペリリュー島での魂の触れ合いの実話が私の魂をゆさぶった。武士道と聖書に的を絞った生き様の融合はふたりの人物の置かれた場所がペリリュー島であらねばならなかったとは、その本の著者の悲痛な叫びでもあるように私は思った。
▼今、私たちが日本という地で生きているのは生死の境である戦場と時代をくぐった人々の御かげ(恩恵)である。感謝と畏敬を忘れているのではないかと自問自答する。彼らがそれぞれの国に戻り、お互いの消息を尋ね求めて再会した日は二十年後。その日私は大阪の中之島公会堂の一番小さな貸し部屋で一人聖書と聖歌をカバンから出して机に並べていた。二十五歳の時である。東京オリンピックの一年半後、壮年になった二人は大阪城を見上げていたという。
▼彼らの歩んだ道を宣べ伝えて半世紀がたった。違う時代を生きた魂たちと天国で会った時、お互いの道を振り返りどんな話をして私たちは時を過ごすのだろうか。
▼その本「聖書と刀」船坂弘著(光人社NF文庫)の活字は私の胸をえぐる。「腐肉から絞り出される腐水は背中ら臀部、両足を伝わってくつの中にまで侵入する。遺体数千体は鄭重に埋葬された」
著者紹介
- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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