神罰とか祟りという人がいる。新型コロナウイルスが蔓延している。(たた)りだとする流言飛語も飛び交う。聖書にも神罰、のろいが降った記事がある。神道も仏教も祟りをいう。人は神を(あが)め、ほめたたえるを宗とするために造られている

▼崇めると祟りは表裏一体であろう。よく見ると違う漢字である。崇めるは山へんで祟るは示すへんだ。神仏を敬うのが崇めるで神仏や怨霊が災いをもたらすのが祟りである。人が神の上に出る時は祟りがある。崇めるの宗(むね)とは教義、教理とか先祖を祭る所、中心として尊ぶという意味。その上に山が来ているのは、「主は聖なる山に基を置かれる。」(詩篇87:1)「私は山に向かて目を上げる。」(詩篇121:1)にあるように山は救いに関する

▼人は今、神を山から降ろし、人が神の御手の中から出てしまったので祟られているとするなら流言飛語ではすまされない▼ヨナは大魚の口から吐き出され伝道した。ニネベの民は自粛して灰をかぶった。その時さばきは治まった。感染拡大阻止のために自粛せずライブで踊り狂う様は「暗やみに歩き回る恐ろしい疫病からあなたを救い出される」(詩篇91)からほど遠い祟りを広げるばかり。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。