一部を貸したために全部が奪い取られ、保護したのに恩を仇(あだ)で返されるの意。基点がぐらつくことである。その道を見つけたにもかかわらず、親切心、親心、いっとき軒下を貸したつもりが、信仰から来るいのちを奪われると一大事である。世の心づかいや、富の惑わし、肉の欲のため軒下を貸す。気づくと魂が瀕する危険に直面している

▼主の祈り、四つ目はこの世での肉体の糧のものだ。「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」。イエスのもう一つの教えがある。「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります」

▼「今日」がポイントなのだ。明日、生きているかどうかわからない。また再臨のイエスはいつ来られるかもわからない。今日を生きよとのイエスの教えとわかる。おのずと今日の糧を祈れ、なのである。明日、来年の糧でなく、日々主を待ち望むのが基督者の祈り。糧に主軸を置かず、要求の制限のためにこの祈りを唱えよと言われたと見るのが肝要なのだろう。物が軒下となるのを防ぐ今日の糧の祈りと観た。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。