交差点で交通整理をしている警察官の方が信号機よりも権威がある。何かの不都合で警察官がそこにいるのであろう。信号機よりも警察官の指示に従うので歩行者も車も混乱しない。もしその警察官が緊急車両や歩行者の便宜を図らねばならないと判断したならすべての車を止めたりする。こうしてすみやかに事は運ばれる。

▼「助け主、すなわち、父がわたしに名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い出させてくださいます」即ち聖霊だとイエスはいう。

▼警察官を聖霊にたとえるとよくわかる。聖霊と親しくしていればいるほど、彼は私たちの思いを理解し、人生途上の混乱時に正しく導いてくれる。信号機には意思がない。ただ物理的に赤、黄、青と色が変化するのみだ。これは律法である。律法に従えば安全であるが、律法に支配されている限り私たちには喜びも楽しみも平安も制限される。信号を守らない車によって横断歩道上で私たちは交通事故に遭い、ともすれば事故死するやもしれない。

▼「文字は殺し、御霊は生かすからです」(Ⅱコリント3:6)。「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです」(ローマ8:14)。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。