昔話にも悪者に因果応報、悪因悪果、自業自得、聖書にも蒔いたものは刈り取ることを題材にしたものが多々ある。悪者を断罪するのは短絡的だ、知恵がない、配慮が足りないという人もいる。悪人にも言い分がある。悪人にさせる社会が悪い時代だと「全員ハッピー」をモットーにする教育的配慮を声高に上げる

▼イエスのことばを見てみよう。「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」義は罪を断罪する。これに容赦はない。あってはならないと義は叫ぶ。神は義であるからである

▼私にもかわいい孫がいる。その孫が誘拐され殺されるなら、私は決してその悪人を赦さないだろう。この手で殺したいとさえ思うかもしれない。悪辣非道な者を死刑にしてほしいとある父親が叫んでいた。義はあるのか。神の正しさはどこにあるのか。愚か者は心の中で「神はいない」と詩篇は言う。「神はいない」から平気で悪を行なう。その悪が正しくさばかれないので被害者も心の中で「神はいない」と言う

▼神は義なる方なので人の罪をひとり子イエスに課した。義が十字架上で全うされた。そこに愛と義がある。報復が報復を産む悪の連鎖がこの世である。この世を求めず、神の国を求めよ。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。