人はいつ何時息を引きとるか分からない。若者も老人もそのときを知らない。昨日、近くの葬儀社の方に来てもらった。家内が心配性で私が突然逝ったらその直後の手はずである亡骸の処理、通知、葬儀や諸々のことでパニックになるという。息子がちゃんとやるからと言っても納得しない。私にとっては死ぬに死ねない
▼そこで葬儀者の方のお出ましになった。一通りすべてを任せて事を進めることの相談がまとまったのが一時間後。「顔色、つや、お歳に見えない」とお世辞を言われて元気百倍の私だが、家内はなお心配の種が増えたと言って落ち込んでいる
▼私の部屋の窓は南を向いている。英虞湾を臨む樹海の向こうに太平洋がチラッと見える。東から太陽が昇る夜明け前の空の輝きを樹海に投げかけ紫でもなく柿色でもない不思議な色に変化させていく。神はその一瞬の美を継続し見せて下さる映像の創造者だ
▼歴史の一瞬の一コマを演出する‶監督〟の心を知らず、‶俳優〟である人はただ生きて死ぬ。二ヶ月近く前に凶弾に倒れた安倍元首相の死も市井の徒も聖徒の死も同じであるはずがない。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、言い開きをしなければならない。
著者紹介

- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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