自分探しの旅とヤフーで検索すると迷いと不安の解消のためにするとある。やりたいこと、人生を変えるキッカケを見つけたい旅、自分を見失ったからという

▼「アイデンティが自分の内側にあるとか考えてるやつは自分探しの旅とかを親の金で行ったりする。なんの成果も得られないやつなどゴマンも見たよ」と辛口コメントもある

▼イエスの弟子パウロ「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。」いつになれば自分の本当の姿を見ることができるのか。人が人を知ってどうするのかの真意と目的が知りたい。聖書は根本的指摘をする。「しかし、人が神を愛するなら、その人は神に知られているのです。」

▼神さまに知られているのなら自分探しは完成の域にあるのかも。知られているだけで魂に平安は来る。神に愛されて、神を愛する自分がここにいる。歓喜である。「主は荒野で、獣のほえる荒地で彼を見つけ、これをいだき、世話をして、ご自分のひとみのように、これを守られた」(申命記)。人は神のひとみ、神は人を探している。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。