古いのは希(まれ)ですと同窓会の「古希の会」に出席したとき挨拶をした同級生のことばに感慨深く頷き笑った人が多かった。若いときは古希など永遠にやってこないように思っていた。先日、田んぼの畦の草刈りを3時間ほどやった。ひと休みした途端疲れがどっときた。古希のせいだと同年の友の言。「外なる人は衰えても内なる人は日々新たにされている」この聖書のことばを理解できる年もまたこれ楽しけれ、か▶高齢者が増えてくる昨今、携帯電話、パソコン、i‐Padとかいう代物には古希はついていけない。苦しまぎれに温故知新だ!老馬の智だ!と強がりを言っても、所詮駿馬も歳をとり、今では馬小屋に伏せって、かつては英雄、豪傑と歌われた人物も歳老い、動くことさえ思うままにならないでいる老驥櫪(ろうきれき)に伏すか▶「お爺ちゃんが今、息を引き取ったぞ」「やっと死んだか」と言われたくない。ならば医者に「一日でもいいから、先生おばあちゃんの命を助けてください」と孫に言われたい。生きてきたように老い、老いてきたように年の瀬を迎える。

著者紹介

畠田 秀生
畠田 秀生
聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。