専門職について極めて行くにつれて、人は無意識のうちに傲慢になるらしい。自分の専門分野に関して質問され、返答する時「…なんですから」とか「…です」と断言して、やかましいドラ、シンバルと化す。私の長男の首が曲がって生まれてきた。斜頸だった。医者は私と妻に顔色も変えずに無表情に「奇形です」。私たちの顔色は変わったが、「どうにもなりません」と念をおされた▶逆の立場であってもまた真なり。日本人のルーツ、歴史上の渡来人の流れと文化史に何の関心ももたず、ただ専門分野研究(特に牧師に多い)に明け暮れてきた人に聖書の内容が日本人のルーツと文化に深く関わっている、日本人の首はまっすぐです、と言うと「日本人は異邦人で聖書とはまったく関わりのない偶像礼拝の民だ。あなたは斜頚だ」と断言する。医者も牧師も両者とも傲慢というにふさわしい▶いのちに関すること、永遠に関すること、神信仰に関することであれば、事は重大だ。長男が奇形と宣告された時の妻の動揺は、計り知れなかった▶ことばに不可避なものがある。おもいやり、惻隠の情で仁愛である。傲慢はやりきれない。
著者紹介

- 聖書と日本フォーラム会長。聖書日本キリスト教会・登茂山の家の教会牧師。三重県志摩市在住。
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